ココロ

トラウマ治療はもうこりごり〜私なりの傷の解釈〜

今年の冬、noteでこのような記事を書いた。

記憶は人の都合で変わるから、だから書いて残したいと思った。ーその1ー

端的に言うと、亡くなった友人の主治医と遊んだという話だ。

私には主治医がいた。便宜的に以下A先生とする。
私は亡くなった友人の主治医との出来事を診察でA先生に話した。
そして先生と先生が繋がったら嬉しいとも話したと思う。
「自分の好きな人と好きな人がつながるのは嬉しい」から、と。

だけど展開が早すぎた。
次回診察に行ったときに
「〇〇先生(亡くなった友人の主治医)と会ってきました。」
とA先生は言った。

一瞬、時が止まった気がした。
喉から心臓が飛び出そうなほど、鼓動が高鳴っていたと思う。
私は一瞬フリーズしたのではなかっただろうか。

「自分の好きな人と好きな人がつながるのは嬉しい」

もちろん、この言葉に嘘はなかった。

この時、A先生は開業を間近に控えていて
「リクルートリクルート♪」
と言っていたので本当に私ほど深く考えてはなかったんだと思う。

亡くなった友人(Mという)を長く診続けてくださっていた先生とひょんなことからお会いすることになった。

ー中略ー

だって、僕はずっとこの先生に診てもらいたかったから。
ーそう。診てもらいたかった。

ー中略ー

まったく記憶にないけれど、付き添いで行ったとき、先生は2人を抱えることはできないとぼくに伝えたらしい。
お会いしたときに教えてくれた。
きっとぼくはずっと羨ましかったんだと思った。

https://note.com/maito/n/nd2a3b5f8bdd0

きっとこの時に何か言えたらよかったのかもしれない。
この時に私は先生に泣きながら
「24時間365日抱えてくれますか?」
と心から叫んだ。
亡くなった友人が抱えてもらっているのが羨ましくてたまらなかった当時の自分の魂の叫びだった。
するとA先生は
「引っ越したらね(開業したらねの意)」
と言ってくれた。
私はそれがたとえ嘘であってもたまらなく嬉しかった。
羨望の目で見ていた我慢し続けていた子どもの自分が救われたようなそんな気持ちになった。

だけど実際、A先生が開業してみると、私はうまく引っ越せなかった。
A先生に出会う前のクリニックで心理士さんととんでもない二次被害が起きた。
それに伴い心理士さんが受付に注意されたことを私のせいにするという出来事があり、感情のコントロールができなかったわたしは受付で床に杖を投げたという出来事があった。
ちなみにその心理士さんからは「申し訳ありません。あなたのTwitterを発見しました。」という2000文字を超えるメールが届き、メンタルがぶっ壊れ冗談抜きで自殺しそうだった。

その出来事が蘇りしょっぱなから受付でフリーズしてしまった。そのほか、再診の予約を電話で取らないといけないことも鬼門で電話もフラッシュバックが誘発されてしまいトリガーになってしまった。
すると「あなたが来ると受付が困る」とA先生に言われてしまう事態になった。

そして何より悲しかったのが
「24時間365日抱えるなんて言ってない」と言われたことだった。

別に本当に抱えて欲しかったわけじゃない。
現実的に考えて無理なことくらいわかっている。
その気持ちが嬉しかったわけで。

だけど「言ってない」と言われたことは、抱えてもらっている亡くなった友人を羨望の目で見ていた我慢し続けていた子どもの頃の自分が、「引っ越したらね」と言ってもらった救われた自分までいなくなった気がして、小さい自分がまたもや傷ついたような気がして、とんでもなく悲しくなった。

だけど3年近く診てもらってきたから、自分の嫌な部分、汚い部分、傷の部分をかなり話してきたこと、助けてもらった部分もたくさんあるから、転院するのにはかなり抵抗があった。
何よりまた1からとなるとめんどくさい。これに尽きる。

でも。
いま目の前の現状を変えられなくても、いま目の前の選択は変えられると思った。
他人は変えられなくても、自分は変えられる。
手放すことは勇気が必要だけれど、手放すことで新たに得られることがあるはずだと。

もうトラウマ治療はこりごりで、よりよい生活を歩むために、生活の質をあげる方にシフトしていく生き方にチャレンジしていきたいと思う。

新たなチャレンジのはじまり。